東広島をふらっと歩いてみませんか。見方を少し変えるだけで、その地域の地理や歴史を物語るものが見えてきます。散策しながら地域を学ぶ「地歴ウォーク」の世界へようこそ。
執筆/広島大学大学院人間社会科学研究科教授 熊原 康博

近世の道を歩く
地点⑥には道標があり、右ハ ひろ志満(広島) 左ハ 四日市 白市と書かれています。道標は、この野道が広島城下まで続く主要な街道だったことを示しています。また、この街道は広島と銀山街道の宿場町吉舎[きさ](現三次市)を結ぶことから「吉舎道」とも呼ばれていました。四日市とはJR西条駅がある地域にあたります。


興味深いのは、西条に行く道は現在の国道375号線のルートではなく、白市(東広島市高屋町)経由であったことです。ここから西条駅まで白市を経由すると約21㌔㍍、国道375号線経由だと約18㌔㍍となり、白市経由の方が遠回りです。道標の建立年代は不明ですが、四日市と刻まれていることから江戸時代もしくは明治時代初め頃と推定されます。これは白市が当時地域の中心地であったことを物語ります(白市については、東広島デジタル掲載「東広島地歴ウォーク高屋町白市その①~③」参照)。
道標の下には、小さい字で、「乃ミ たゞ[だ]きち」と刻まれています。乃美在住のただきち氏が、この道標を寄進した方と推定されます。ただきち氏がどのような人かは今となっては知るすべはありませんが、旅人が迷うことがないように道の分岐に道標を設置した篤志家[とくしか]だったことがうかがえます。
県立賀茂北高校のグラウンドの脇である地点⑦には、乃美学舎(賀茂北高校の前身)の創立者である「佐伯衛[まもる]先生頌徳碑」があります。裏面には衛氏の略歴などが書かれています(詳細は後述)。

さて、地点⑥から地点⑧の野道は、伊能忠敬が文化10年11月12日(1813年12月4日)に歩いた道にあたります。特に地点⑧は竹林の野道となり、当時と変わらない景観や道が残っています。野道を歩くと、起伏が少なく歩きやすいルートであると実感できます。

乃美学舎をたどる
地点⑨には、大きな石碑が国道375号線の脇に建てられています。「頌徳 佐伯美登[よしと]先生」と刻まれ、文字は初代広島大学学長である森戸辰男氏の書によるものです。裏面に美登氏の経歴が詳しく書かれています。

美登氏は、本宮八幡神社(地点③)の宮司の家系の生まれで、兄の衛氏が大正3(1914)年に創立した、中等教育学校である私立乃美学舎の校長や理事長を勤めました。衛氏が昭和15(1940)年に死去されたために、その跡を引き継ぎ、乃美学舎、旧制乃美中学校、戦後の乃美学園(乃美中学校・高等学校)と校名を替えた学校の発展に先頭に立って尽くしたのです。一方で、美登氏は、充実した教育を安定的に行うためには、私立から公立に移行すべきと決断し、昭和40(1965)年に県立賀茂北高校となったのです。平成27(2015)年には乃美学舎の創立から100年を迎えました。
乃美の近くには、かつて上竹仁村(現福富町)に私立静学館〔明治23(1890)年創立〕がありましたが、昭和12(1937)年に廃校となりました(詳しくは、東広島デジタル掲載「東広島地歴ウォーク福富町上竹仁その①、②」)。乃美学舎を源とするこの学校は、静学館の廃校後も、豊田郡北部の中等教育を担う唯一の存在であり、今もその役割を果たしています。
〝鰻〟の字から
伊能忠敬は、測量の際に通った地名、川、橋などについて日記に書き残しています。乃美市の手前では「鰻川 土橋二間(約3・6㍍)」、「大川 土橋五間(約9・1㍍)」の順に川を越えたと日記に書かれています。川の並びから大川とは椋梨[むくなし]川のことで、鰻川とは現在の西原川にあたります(図②)。

地点⑩にある西原川にかかる橋の名は、「鰻田橋」です。鰻田は、近くの小字名です。日記にある「鰻[こあざ]川」と、「鰻田橋」には、どちらにも〝鰻〟の字が入っています。おそらくは鰻川(現西原川)近くで田んぼを作っていたことから、鰻田という地名が生まれ、さらにそれから橋の名になったのではないでしょうか。

背景の白い建物は賀茂北高校
国道375号線を進み、乃美の交差点を右に曲がり、ゴールの乃美地域センターに戻ります。
最後に
今回は、2回にわたり豊栄町乃美を見てきました。道標や伊能忠敬の日記の情報、現在も残る野道を組み合わせて、江戸時代の道を復元してみました。のどかな風景を楽しみながら、歩いてみてはいかがでしょうか。
《ルートの距離》
乃美地域センター(スタート)ー【距離2.1㎞】→本宮八幡神社(地点③)ー【1.3㎞】→トムミルクファーム(地点⑤)ー【1.8㎞】→佐伯衛先生頌徳碑(地点⑦)ー【1.4㎞】→ゴール 計6.6㎞
〈参考文献〉
広島県立賀茂北高等学校創立100周年記念事業実行委員会編(2015)『広島県立賀茂北高等学校創立100周年記念誌「稲葉の杜」』
豊栄町誌編纂委員会編(1968)『豊栄町誌』
熊原康博・岩佐佳哉編(2023)『東広島ウォーク』
















