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(SAT)

西条中生徒に希望と勇気、強い意志語る 東京2020パラ ボート日本代表 西岡利拡さん

  • 2022/02/01
  • 2022/02/01

 東広島市西条町寺家の市立西条中学校(舛金智秋校長)と同校PTA(田㞍浩会長)は昨年12月、「東京2020パラリンピック」にボート(フォア)の日本代表として初出場した西岡利拡選手(50)の講演会を同校の体育館で開いた。西岡選手は3年生約200人に向け、スポーツで世界大会に挑戦した苦労や喜びについて熱く語った。(山北)

 

東京2020パラ ボート日本代表 西岡利拡さん

 

 西岡選手は、25歳の時に交通事故に遭い左腕にまひが残った。障害は、不便ではあるが不幸ではない。「障害を乗り越えるのではなく、障害と向き合いながら生活してきた」。失敗をしたときには、気にすることもあったが、気持ちを切り替え前に進んできたという。

 

 パラボートとの出合いは、2007年、35歳の時。2008年の北京大会からボート種目が正式に採用されることが決まり、知人から誘われた。

 

 パラリンピック出場を目指してから14年。チーム最年長の49歳で日本初代表となった。東京大会では5人一組で2000mの着順を競う種目に出場した。記録は8分36秒89。「目標が達成でき、やりきったという満足感があった。長く続けて良かった」と振り返り、「家族や周りの人の支えや応援があって出場できた」と感謝する。障害の有無や種類、性別、年齢も異なる5人のクルー。個性はそれぞれ違うが、一つの目標に向かって心を一つにすれば、「チームとして成立し強くなった」と胸を張る。

 

 滋賀県内を拠点に練習する西岡選手。目標を達成するためなら、片道2時間の距離も気にならない。トレーニングがつらい時には、音楽を聴き楽しみながら練習に励む。「できるまでやめない」という強い意志を言葉の端々に感じる。

 

 生徒たちに、パラリンピックの経験を伝えることで、前向きになるきっかけになればと講演を引き受けた。生徒たちは、西岡選手から生の声を聞きたくさんのパワーをもらったようだった。

 

 50歳を迎えた西岡選手。今の目標は「2024年のパリ大会!体が動く限り、ボートを続ける」と情熱を燃やす。

 

PROFILE
にしおか・としひろ 1971年生まれ。広島市出身、東広島市西条町在住。広島工大卒。自動車部品の製造メーカーに勤務(ヒロタニ)。25歳の時に交通事故に遭い左腕にまひが残る。東京2020パラリンピックにボート競技・混合舵手つきフォア(運動機能障害・視覚障害PR3クラス)に出場。琵琶湖ローイングCLUB所属。

 

 

西条中と西条中PTA 講演開催の思い

 

講演会で生徒たちに語り掛ける西岡選手(左)

 

 西条中学校PTAは、コロナ禍で学校行事や運動部の大会が中止になった生徒の心をケアし勇気づけようと、同校に西岡選手の講演会を提案した。同校もその思いに賛同し、生徒が西岡選手の話を聞くことで、より高い目標の実現を目指して、最後まで粘り強く人生を切り開く意欲を育てたいと、道徳の授業の一環として行った。

 

講演会で生徒たちに語り掛ける西岡選手

 

 生徒たちは、西岡選手の話やパラボート競技に興味をもち、最後まで熱心に聞き入っていた。講演が終わると、生徒たちから「コロナ禍でどんな練習をしているか」や「ボートの速さ」、「仕事との両立は」などの質問が出た。その後、教室に帰り西岡選手の講演の感想や感謝の思い、これから頑張る事などを書いた。

【山田里穂さんの感想】

 今、受験生で入試もすぐ近くて、面接や入試勉強とやることが多く、うまくいかないこともたくさんあって苦しくなっていましたが、西岡選手の「最初はうまくいかないこともあるが、諦めずに努力していれば必ず結果は返ってくる」という言葉に助けられました。私も西岡選手のように諦めずに最後は良い結果が返ってくるように、今から努力していきたいと思います。そのために何をするべきか考えていきたいです。

 

 舛金校長は「学校生活の中でもパラボート競技と同じように、さまざまな環境の中で、いろいろな個性をもった生徒がいる。お互いに理解し合いながら、一つの目標に向かう糸口になれば」、田㞍PTA会長は「生徒たちが、障がいがありながらパラリンピックという高い目標に挑んだ西岡選手に、努力は無駄じゃないことや諦めなければ目標に手が届くことなど明るい光を感じてくれれば」と期待していた。

 

 

 

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