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(THU)

 特別編 「新井 入団秘話 2000本安打達成までの道のり」  

  • 2023/08/09

「ドラフトには無理」だった男 〝考えられなかった〟偉業

扉開いたのは駒大の2先輩

 新井貴浩、39歳。4月26日のヤクルト戦(神宮)でプロ野球史上47人目の通算2000本安打を達成した。入団時プロのスカウト連中からは、目も向けられなかった不器用な男の生きざま。「まさかこの記録にたどりつけるとは夢にも思わなかった」と。苦節18年。これまで語られなかった新井の〝秘話〟を紹介する。

 1997年。この年のドラフト会議は11月21日に行われた。同時に広島は三村監督から達川新政権が誕生。ヘッドコーチに大下剛、キャプテンに野村謙二郎。実は新井には、駒大の大先輩の人物が深く関わっていた。

 新スタッフによる11月の秋季キャンプが日南で始まっていた。そこに駒大の当時の太田監督から一本の電話が入る。ドラフト会議を一週間後に控えていた。「新井の件だが。どの球団も獲得への意思がないんだが、広島は何とか指名をしてくれないだろうか」という内容のものだった。

 そのころ、広島の球団では各地区担当スカウトが、ドラフト候補50人を上回る最終リストの順位を付け終えていた。この名簿に新井の名前はなかった。「新井?何度か注目して見てきたが肩が悪くて、スカウトの声としてバッティングも荒い。ドラフトには無理」と全く関心を示さなかった。新井のプロ入りは12球団のリストになく絶望的だった。

 太田監督の電話によって、もう一度新井の指名を再検討してほしいと球団へ連絡を取ったのが野村だった。

ヤクルト-広島 3回無死二塁、左翼線にプロ通算2000安打となる適時二塁打を放つ広島・新井(4月26日=神宮球場)

 ドラフトまで時間がない。球団は「野村の推薦なら…」と、急きょ動いた。翌日には渡辺秀武スカウトが駒大の合宿所へ走る。「キミを指名させてもらうからよろしく」。その時点で最後の8位指名に加えられた。地元の出身者という恩情もあって、推定契約金3千万円の6位指名にまでランクされた。晴れて新井の入団が確定。ちなみに1位は東出(現コーチ)2位が井生(現スカウト)らの8人が入団発表された。

 大下、野村の駒大先輩の尽力があってこそ、新井の入団への扉が開かれたのはまぎれもない事実だ。

 翌年春のキャンプから、新井には猛練習が待っていた。「何とか一人前にしなくては」「ワシらにも責任がある」大下ヘッドの容赦ないノックが課せられた。打撃練習も徹底して行われた。確かにスカウトの評価通り内野手としてのスローイングはまるでぎこちなかった。

 連日の〝特守〟は一日も休むことなく続けられた。ドロだらけのユニホームは何着あっても足りないくらいだった。キャプテンの野村の目が光る中、ことのほか新井をかわいがっていたのが金本知憲(現阪神監督)だった。「お前は裏口入門だからな。誰に入れてもらったか、よく頭にたたき込んでおけよ」ことあるごとにゲキをとばされた。耐えに耐え抜いた新井の精神力。想像を絶する練習量に努力。支えてくれた先輩(駒大)やコーチ、チームメート。そしてファンによって新井は18年間の集大成として自ら「考えられなかった」偉業を成し遂げた。

 「プロ入りへの経緯からして、本当に感謝をする人はいっぱいいます。今後もがむしゃらに、ひたすらに野球に打ち込んでいきます」応援してくれたファンへのメッセージを送った。


プレスネット2016年5月14日号掲載

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