
東広島市高屋町の白市地区では、なんと江戸時代から続く歌舞伎(かぶき)があります。その名も「白市歌舞伎(しらいちかぶき)」。現在は子どもによる一幕もあります。担い手不足の影響で途絶えたことがありますが、まちの人たちが力を合わせて復活(ふっかつ)させました。地域の大切な宝物です。(橋本)
※この記事は、親子で楽しめるようにやさしい言葉でまとめています。

今年は11月30日、市立高屋東小学校で開かれました。演目は、5人の盗賊が活躍する「白浪五人男(しらなみごにんおとこ)」。この演目の「稲瀬川(いなせがわ)勢揃いの場」を大人、「浜松屋店先の場」を子どもが演じました。子どもの部には高屋東小の児童を中心に、小中学生11人が出演。
「五・七調のセリフはリズムが大切。子どもたちは本番に強く、良い舞台(ぶたい)を作り上げます」と、子ども歌舞伎の監督(かんとく)・大多和徹さん(63)。
地域の人の手で運営されており、その中には若いころに役者をしていた人がたくさん。白市歌舞伎実行委員会の会長・中杉義宏さん(67)もその一人。「地域・人の温かさがあるのが白市歌舞伎の魅力」と話しています。 来年も開催予定。どの地域の小学生も参加できます。
白市歌舞伎の始まり


江戸時代、白市には芝居(しばい)小屋「長栄座(ちょうえいざ)」があり、歌舞伎や芝居が披露され、大人も子どもも歌舞伎に愛着を持っていた。次第に素人(しろうと)歌舞伎も盛んになった。
白市歌舞伎のここが楽しい!
弁天小僧(べんてんこぞう)菊之助(きくのすけ)役を演じた小学5年生 向井陽麻さん

「同じ日本の舞台だけど、言葉遣いが独特でかっこいい! 前半は高い声、後半は男とばれて低い声になる調整が難しい役。」
女主人の娘役を演じた中学1年生 野上夢歩さん

歴史が好きで、白市歌舞伎に参加。興味が深まりプロの歌舞伎も鑑賞しました。演じると歴史の世界に入ったようで楽しいです。
最も盛り上がる瞬間!【見得(みえ)】

歌舞伎の「見得」は、役者が動きを止めて力強い姿勢をつくり、気迫を示す演技です。弁天小僧(べんてんこぞう)は「知らざぁ言って聞かせやしょう」と名乗る場面で、着物の片方のそでを脱ぎます。この瞬間、会場から「よっ」「待ってました」と声が掛かり、拍手が沸き上がります。
地域の人の手作り【かつら・小道具】

白市歌舞伎で使われるかつらや小道具のほとんどが、地域の人たちによる手作り。かつらは和紙(わし)で作られており、さまざまなサイズがあります。背景に使われる大きな幕も、ミシンで布を縫い合わせて作成しています。すごいね!
特徴的な化粧【隈取(くまどり)】

①眉をつぶす(上部写真・左)
眉に歌舞伎油(あぶら)を塗って顔にくっつけたあと、顔全体にも油をうっすら塗る。
②おしろいを塗る(上部写真・中央)
練おしろいを水に溶かして、顔や首に塗る。
③隈取を入れる(上部写真・右)
紅(べに)や墨(すみ)で役に合った線を描く。これを「隈取」と言う。
油や粉、刷毛(はけ)などを使います。道具も方法も、現代の化粧(けしょう)と違いますね。
アドリブもある【三味線(しゃみせん)・柝(き)】

舞台を音楽で盛り上げる三味線と柝。舞台を見ながら生演奏します。台本で決められた曲・打ち方以外にも、舞台の流れや観客の雰囲気に合わせてアドリブで演奏したり打ったりすることもあるんだって!
白市の町並みの昔 へぇ~そうなんだ!

高屋町の白市地区は昔、人や荷物が行きかうにぎやかな宿場町として発展しました。牛や馬の売り買いをする市「牛馬市」が開かれるときは町外からもたくさんの人が集まっていたそう。今も、江戸・明治・大正時代、昭和前期までの家屋が残っています。タイムスリップしたかのような町並みです。地域の人に昔の話を聞くと「へぇ~そうなんだ!」という発見がありました。

昔(年代不明)の写真。大きなとんどをみこしのように担いで、地区同士でどちらが早く神社につくか競争していたそう! 昔は電信柱も電線もなかったから、こ~んな大きなとんどが通っていたんだね。通りは今も変わらないよ。
【まだある!昔エピソード】
・稚児行列で象のパレードがあった!
・牛馬市のとき、ヘリコプターを飛ばして宣伝していた。
・サーカスがたびたび開かれていた。
・地区内に競馬場があった
プレスネット編集部










