東広島をふらっと歩いてみませんか。見方を少し変えるだけで、その地域の地理や歴史を物語るものが見えてきます。散策しながら地域を学ぶ「地歴ウォーク」の世界へようこそ。
執筆/広島大学大学院人間社会科学研究科教授 熊原 康博

戦争遺跡を巡る
57番石仏から南東に向かって歩きます(図1)。この辺りは、昭和17(1942)年から広島陸軍兵器補給廠(しょう)八本松分廠として、火薬・弾薬などを保管する長方形の倉庫が点在していました(図2)。陸軍は、第二次世界大戦開始以降、都市部への空襲を想定し、兵器の保管場所を新たに確保する必要が生じました。八本松駅周辺は、人家の少ない農村であること、近くに原村陸軍演習場があったこと、戦地へ兵士や物資を送る軍港であった宇品港(広島市)に近く、鉄道でつながっていたことなどから軍用地として選定・整備されました。

地点⑤では、道路沿いに倉庫(現在はない)を囲んでいた土塁が残っています。土塁は火薬や弾薬の誘爆を防ぐ目的で作られていました。さらに進むと刈又池(かりまた)沿いには〝陸軍〟と刻まれた標石(地点⑥)が少なくとも3基残っています。また、標石には番号も刻まれ、一四一、一四六、一四七の番号が確認できます。当時は、陸軍用地を標石で囲っていたのでしょう。

戦後は、連合軍が軍用地を一時接収したものの、昭和21(1946)年に戦災者、海外引揚者に対して倉庫の使用を許可し、後に軍用地が国有地や開拓地となりました。開拓地では、入植者に土地が分譲され、スイカ、養鶏などさまざまな農畜産物が生産されました。その後、開拓地は住宅地などに変わり、現在に至ります。
戦後のレール工場
地点⑦には刈又池改修の記念碑があります。刈又池は、北と南へ谷が分かれて流れる谷中分水界付近にあります。地点⑧には、日本固有鉄道八本松材修場跡の記念碑が建立されています。材修場は、返還後から昭和43(1968)年まで、長さ500㍍程度のロングレールをつくる工場として稼働していました。昭和35(1960)年発行の地形図(図3)には、八本松駅から地点⑧まで線路が描かれています。この線路は陸軍によって作られ、その後、材修場と八本松駅とをつなぐ線路として利用されました。材修場閉鎖後、シャープの工場(現在はオンドの工場)が建てられ、線路は道路となりました。


地点⑨にある須久茂池は、工場建設に伴い埋められた旧須久茂池の代替池です。刈又池や旧須久茂池など谷中分水界付近の池は、上流がないので池や周りの山に降った雨水のみをためることになります。水不足になりやすいため、池周辺の土地は、農地から別の用途に転用されやすい地形だったともいえます。

石仏頼りに里山散策
地点⑨から山裾の近世街道の旧山陽道を歩きます。地点⑩には蓮池があり、この池も谷中分水界付近にあります。蓮池からは旧山陽道から分かれて、妙福寺や住宅地沿いを進むと、道路脇に石仏が置かれています。住宅地の先で野道となり、美しい竹林を抜けていきます。このあたりは堀岡熊次郎が石仏を設置した当時と変わらない景観でしょう。国道486号線を越えた地点⑪には、材修場への線路があったことを示す鉄道用の信号機器が残されています。

山陽本線の踏切を越えて北へ向かうと、ため池脇に野道が続き、石仏がたたずんでいます。この辺りはのどかな里山景観が広がります。85番石仏の先は、瀬野川と黒瀬川支流の谷中分水界にあたります。なお、丘にある86番石仏からは、来た道を引き返して87番石仏に向かうことになります。
疱瘡(ほうそう)神社(地点⑫)には、最後の石仏である88番石仏が鳥居の前に置かれています。神社には、「菖蒲(あやめ)の前」伝説に由来する馬頭観音(一目観音)が境内社として祭られています。石仏巡りのゴールが「菖蒲の前」伝説に関わることは、この伝説をテーマとした観光地を目指していたことを裏付けるのではないでしょうか。道路に面した標柱(しめばしら)には、大正14年10月の日付と、寄進した堀岡熊次郎の名が刻まれています。他所出身者であった熊次郎が、この地の人々に受け入れられるために、寄進したと思えるのです。

終わりに
今回は、八本松駅を発着点として、昭和初めに堀岡熊次郎の発案で建立された八十八石仏と、戦争遺跡といえる広島陸軍兵器補給廠八本松分廠の痕跡を中心に紹介しました。令和7(2025)年は、 昭和100年及び、戦後80年にあたります。遠くなった昭和時代に思いをはせながら歩いてみてはいかがでしょうか。
《ルートの距離》
八本松駅(スタート)ー【距離1・2km】→瀧の谷馬頭神社(地点③)ー【1・6km】→57番石仏(地点④)ー【1・9km】→国鉄八本松材修場の記念碑(地点⑧)ー【2・2km】→信号機器(地点⑪)ー【1・3km】→八本松駅(ゴール) 計8・2km
〈参考文献〉
川上村史刊行会(1950)『広島県川上村史』
近藤五十憲(1998)『八本松八十八石佛再発見物語』
共栄会(1998)『八本松開拓団史』
横川知司・熊原康博編(2020)『西条地歴ウォーク』