
高校時代に全国高校駅伝で世羅高校女子を初の日本一に導いた向井優香さん(27)(東広島市八本松西)が、今春、東広島市を拠点にするダイソー女子駅伝部に加入した。高校卒業後、思うように走れないで陸上競技を離れる時期があるなど、幾度の困難を乗り越え、故郷での再出発。向井さんは「走れる喜びを感じながら、もう一度頑張りたい」と目を輝かせている。(文・写真/日川)
世羅高時代は日本一の立役者
向井さんが陸上競技を始めたのは八本松中学の1年生から。1年生のときは、まったく目立たない選手だったが、記録が伸びるごとに、陸上競技の魅力にはまっていった。中学校時代、全国中学校選手権やジュニアオリンピックに出場。ひのき舞台を経験したことで、さらに高みを目指して、古豪の世羅高校に進学した。
高校時代は、岩本真弥監督(現ダイソー監督)の元で、全国区の選手に成長を遂げていった。向井さんの名前を全国にとどろかせたのは、2年生で出場した2015年暮れの全国高校駅伝。4位でタスキを受け取った向井さんは、アンカーの5キロ区間を快走。トップとの35秒差をひっくり返してゴールに飛び込み、女子の駅伝日本一に大きく貢献、一躍脚光を浴びた。「あのレースは根拠のない自信があった。絶対に勝てると思っていました。走っているのが楽しくて、あっという間の5キロだった」と当時を振り返る。
体調不良と故障で二度引退
その後、オリンピック候補としても注目を集めるようになった。ところが、好事魔多し。3年生になると、体調不良や故障に悩まされるようになった。練習量に体がついていかない日々も多かった。狙っていたリオデジャネイロ五輪も、選考レースで惨敗。全国高校駅伝も不本意な結果に終わった。
それでも、卒業後は実業団の第一生命に入社。高校2年生時代の調子を取り戻そうと練習に励んだ。走る距離は、高校時代の2倍に増えた。再び、故障に悩まされるようになった。「実業団は結果がすべて。試合に出場したい」思いで故障を隠して練習に励んだ。結果的に、さらに怪我が悪化するという悪循環に陥った。走りたくても走れない。いつしか、「限界。陸上競技を離れたい」と思うようになった。
第一生命の陸上部には4年間在籍。その後、2年間、陸上競技から離れたが、別の実業団チームから声が掛かり、再び競技の世界に飛び込んだ。ただ、体調不良にコロナ禍が加わり、一度ならず二度までも陸上競技から離れる決断をした。2024年秋、実家のある東広島市に戻った。
中学校の後輩の走りに自らを見詰め直す
実家では、「やりたいことは何だろう」と自問自答する日々。そんなある日、中学校時代の恩師だった水田孝さんから、「学校に来て見ないか」と声をかけられた。後輩の走っている姿を見ていると、中学校時代に純粋な気持ちで走っていたときのことを思い出すようになった。転機になった。「もう一度走りたい」。今年1月、高校時代の恩師でもあるダイソーの岩本監督に連絡。3月のダイソーの合宿に参加して、手応えをつかみ、地元の実業団チームで再出発を図ることになった。
ダイソーでは、ゆめモール西条店に勤務しながら競技生活を送る。岩本監督は「まずは陸上を好きになったときの気持ちを取り戻してくれることが大切。練習メニューは本人に任せている」と、長い目で向井さんを見守る。向井さんも「今は、走れるようになって陸上が楽しい。陸上に集中できる環境で、伸び伸びと練習ができている」と目を細める。
「やり切ったと思えるまで陸上をやりたい」
再出発後の初レースとなった5月の中国実業団陸上の女子3000メートルでは、マラソン日本記録保持者の前田穂南さん(天満屋)らを抑えて日本人トップの9分34秒のタイムでゴール。復活への確かな第一歩を刻んだ。岩本監督によると、向井さんの現在地の力は、チーム内で2、3番手と言い、何より真摯に練習に打ち込む姿勢は、他のメンバーに刺激を与えているという。
向井さんの自己ベストは3000メートルが9分04秒、5000メートルが15分31秒。いずれも高校2年生のときに出したタイムだ。「あのときの状態を100とすれば、今は30くらいかな」。高校時代のような感覚を取り戻すことは目標だが、何もそれだけを目指してはいない。「走ることは、私を表現すること」。挫折を経験したからこそ、シンプルにその思いを大切にする。

チーム最年長の27歳。「やり切ったと思えるくらいまで陸上をやりたい。まずは30歳までは走っていたい(笑)」。「地元だからこその応援は、走るモチベーションになっている」。支えてくれた人たちへの感謝と恩返しを胸に刻みながら、しっかりと前を見据える。
プレスネット編集部













