東広島市西条町田口、県立西条農高3年生で陸上競技部に所属する村上碧海さんが、女子やり投げで2年連続の高校日本一を達成した。「夢は五輪に出場してメダルを獲得すること」と言い切る村上さんの思いに迫った。(日川)
初の日本一は昨年10月に広島市で行われた全国高校陸上。自己ベストとなる54m43の投てきで優勝し、一躍全国区の選手になった。そして迎えた今夏の福井インターハイ。本調子ではなく、自己記録の更新はできなかったが、「周囲の期待に応えたい」と前向きな気持ちで臨み、2年連続で頂点に立った。
ただ、本人は喜びと悔しさが交錯する。「優勝できたことは素直にうれしい」とほほ笑みながらも、「昨年の記録よりも低かったので満足していない」と言い切る。
中学校時代は短距離の選手。小学校のとき、ドッジボールをしていたのと、両親が円盤投げの選手だったこともあり、中3のときに県大会で砲丸投げに出場。優勝したことで、「投てきが強い学校に行きたい」と西条農への進学を決め、「体格に左右されない種目だから」とやり投げを選んだ。
高校では大林和彦総監督の指導のもと、練習にハードル走を取り入れるなど、やり投げに要求される、「走・跳・投」の3つをバランスよく鍛えた。大林総監督が「肩が強く、日本一を狙える」と直感した逸材は、1年生のときから開花。茨城国体で6位入賞するなど、結果を残してきた。
10月には、高校生活の集大成として「U18陸上競技大会日本選手権」に挑む。「目標は高校記録(58m90)の更新。狙っていきたい」と大林総監督が言えば、本人は「とにかく自分の投げを貫きたい」と目を輝かせる。その先に見据えるのは世界の舞台だ。
令和3年度全国高等学校総合体育大会表彰式の様子(提供写真)
大林和彦総監督と一問一答
何事にも前向きに取り組む姿勢と、明るさですね。
―課題は何でしょうか。
やり投げを始めて2年半。まだまだやりを操れていないので、やりと友だちになることです。
―村上さんへのメッセージは。
昨年の全国高校陸上、今年のインターハイと、プレッシャーやケガがあった中で、よく連続日本一になりました。本当によく頑張ったと思います。これからも今の姿勢を忘れず、世界に羽ばたいてもらいたい、と期待しています。世界で戦っていける逸材だと思っています。
村上碧海さんと一問一答
―やり投げの魅力と難しさは。魅力は、走って、跳んで、投げる種目だから努力できることが多いところです。記録が伸びるときは一気に伸びるところも、この競技の面白いところです。
難しいのは、一番ケガをしやすい種目なので、体とメンタルの両方で強さが求められることです。もう一つ難しさを感じるのは体重の管理です。今62キロですが、常に60キロ~65キロ以内を維持できるよう努めています。増えると走りのキレが悪くなるし、落とすとパワーが不足してくるからです。
―今年の冬場は肩を故障しました。
投げられなくなった時間を活用して、ウエイトトレーニングに打ち込みました。ただ、筋力が付いたことで、上体のパワーに頼った投てきになり、気が付かない間にフォームのバランスを崩していました。今年のインターハイで記録が伸びなかった原因の一つだと思っています。やり投げの奥深さを知りました。
―一番忘れられない大会は。
高校1年生で出場した沖縄のインターハイです。45mを投げることができず予選落ちをしました。この負けをきっかけに、本気で練習して勝ちたい、と思うようになりました。私の心を変えてくれた大会です。
―東京五輪の女子やり投げを見てどう思いましたか。
ピークの合わせ方が勉強になりました。いくら予選を突破しても、決勝で結果がでなかったら意味がありません。
―西条農高での2年半を振り返ってください。
広島市の自宅から学校まで、電車とバスで毎日2時間をかけて通学しました。1年生から全国の舞台を踏むことができ、2年生、3年生と連続で日本一になることができ、濃い2年半でした。
なに不自由なく毎日を過ごさせてくれた父、おいしいご飯を毎日つくってくれた母、そしてどんなときでも力になってくださった先生のおかげで、幸せな高校生活を送ることができ、人としても成長できたかな、と思っています。